しがない!

しがない40代自営業の世迷言

福井県の県立高校入試は英検合格したら加点されるってよ!

平等を良しとする教育者・保護者に鉄槌をくだせ!

 

今日は(今日もだが)朝起きられず9時近くから朝食を作りテレビを見ながらだらだらと過ごしていた。別に休みではないがいつ起きて仕事を始めても良い個人事業主あるあるなのだ。

朝はいつもモーニングショーを見ているのだが、その中のコーナーにショーアップというのがある。今日は福井県の県立高校の入試が取り上げられており、内容は以下のようなものだった。

 

福井県教委は現在の中学2年生が受験する2018年度の県立高一般入試から、英語の学力検査で実用英語技能検定(英検)の取得級に応じて点数を加算する。取得者は最大15点のアドバンテージがあり、合否への影響は小さくない。「試験前から点数をもらえるのはありがたい」「英検は学校で習わない分野。加点は不公平」などと保護者の受け止め方はさまざま。学習塾では英検対策講座を設ける動きも出ている。 

県立高入試、英検の取得級で加点へ 福井、保護者の反応さまざま | 学校・教育 | 福井のニュース | 福井新聞ONLINE

 

引用は福井新聞オンラインだが、要点は下にまとめてみた。

英語の試験に英検の結果を加点する

3級:5点
準2級:10点
2級:15点

ちなみに上の級を学力レベルにすると以下のとおり。
3級は中卒、準2級は高2、2級は高卒レベルとなり、準2級からは中学の授業だけでは合格不可能だと思われる。

 

コーナー内では街角の意見が流れていたが、概ね好意的に受け入れられているようだった。英語教育に力を入れていこうという試みであるし、努力したものに対して目に見える対価を支払いという点でも良い制度だと思う。

 

反対意見は平等に反するが大半


こういった制度は誰しもが喜ぶものではなく、一部の人間が特をしそうなものでもあるから反対意見はもちろん出てくるだろうし、その意見にも一応の理屈はある。

「英検の勉強をさせるとなると塾に通わせる必要があるが、経済的に余裕が無い」
「学校の勉強以外の部分で差をつけるなんて不平等」
「中学教育のカリキュラムは既にぎっちりで英検対策は学校ではできない」

まあ、そういう意見もでるね、といった印象。

モーニングショーのコメンテーターやアナウンサーの意見でも反対意見は多かった。
長嶋一茂氏は「何で英検だけ?一芸に秀でた生徒にも加点されるならいいけど」(かなり端折っている・憶えていないから)というような内容を言っていたし、全体的には英検だけの加点はおかしい、授業で習わない部分で差をつけるのはどうか、といった反対意見があり賛成意見は無かったと思う。

 

だから駄目なんだよ日本人


確かに英検対策は学校の勉強ではできないものだろう。特に準2級、2級は高校レベルだから現状では塾に通うことになるのかもしれない。

だからといって平等ではない、と反対するのは如何なものか。
だいたい人生において人は平等ではない!
容姿、親の年収、学力、立ち居振る舞い、話の上手さ、顔の迫力、全てにおいて人はそれぞれ違い、平等に生きてはいない。
しかも、社会に出る前、出た後も厳しい競争に晒されているではないか!

平等に競え、というのはスポーツにおいては正しいと思う。
ライト級とヘビー級は同じリングで戦えない。柔道の無差別級は結局でかい奴が勝つ。

だが、学力はどうだろう?
元々かなり平等に競えるものだと思うのだが。


俺自身、高校から大学へは学内推薦で無試験で入っている。入った大学は東北では結構有名な私大なのだが付属高校だと俺のようなアホでも無試験なのだ。だから俺は高校受験までは勉強して良い成績を取っていた、高校からはテニスを頑張りたかったから。


中学で頑張ったから大学へは無試験、これも平等ではない。

一般的に良い大学に入ると良い企業に入社することができる、Fラン大学からは大手企業には入社し辛い。いわゆる学歴フィルターと言うもの。

中小零細企業から有名起業への転職はほぼ無理、職歴差別があるから。

努める会社によって出会える同性、異性の種類が変わる。

有名私立の幼稚園は親の年収も選考に加味される、ブランド力が大事だから。

若いうちから老後に備えて75歳からは妻と設備の整った介護施設に入る。


親はいつまで子供を平等原則に浸からせるのか?
自分たちは競争に負けたのだろう、だから不平等が嫌いになったのだ。
特権にあるものはそれを不平等とは言わない、努力を誇ることはするだろうが。

子供たちに人生は不平等だが、知恵を身につけて正しい努力をすればよい暮らしを手に入れることができると言うことを親は教えるべきだと思うのだが……

 

経済格差での不平等は?


親の年収が低いから子供を塾に通わせられないと言う意見もあった。
それもあるだろうから、対策を考えてみた。

中学校で部活とかクラブ活動にしてしまうのはどうだろう。
英検部、とか英語クラブ、とか。中学で英検2級まで取得することを目的とした課外活動だ。幸い英検には過去問があるから学習すること自体は難しくない。
中学1年から週1回はクラブ活動として参加でき、運動部や他の部活動との掛け持ちも認めよう。
中学2年からは更にレベルを上げ、希望者を対象とした放課後学習を行う。予算を組んで塾講師を招いても良いと思う。

中学生も結構忙しい。
授業に部活、夜は塾、それに加えて英検対策なんてかなりの負担だとは思う。
だが、これからの子供たちはもっと厳しい負担を強いられるのではないかと思う。

今までは特殊技能として認められていたものは、これからの当たり前になる。
技術や科学は進歩し続けるから教育はそれに合わせて形を変えていかなければならない。いつまでも旧態依然とした教育を続けているだけではグローバルスタンダードには合わせられない。


経済格差で差がついてしまうのは確かに問題がある。機会は平等に与えられるべきだから。日本がスラムのあるような国なら経済格差で教育に差がつくのは当たり前のものとして認められるがまだそんな国にはなっていない。これからなるだろうが。

学校として可能な限りサポートをするのは必須だと思う。反対意見はあるだろうが、今ある形を変えることのストレスで言っている教師が大半だろうから無視しても良い。

今ある制度を変えるとき、必ず反対はある。だが、反対を言う人は多分に文学的だ。「負担が増えて勉強ばかり、中学生らしい遊びや社会との関わりが失われてしまう」などという実例も無い根拠も無い反対意見。低レベルだ。

むしろこれからの時代は英語が必須になるだろう。
日本が国際的な競争力をもう一度獲得する為に言葉で差がつかないようにするのは当然で、その為にはできるだけ子供のうちから語学力を高めるのは非常に良いと思う。

そういった社会に参加できる子供たちを増やす為、学校のサポート体制は必要だ。

 

中学生も普通に人と競っているし負けたら悔しいから努力しているよ


俺が中学の頃、成績は良かった。学校では15番以内くらいだが一学年400人程いたので上位であることは間違いない。そんな成績がよくテニス部でも大会で優勝するなどしていた俺だが3年の頃になると期末試験の成績は落ちてきた。
中間は5教科だが、期末は余計な試験があるから科目数が多いのだ。8か9だったと思う。3年にもなると試験に必要な教科意外は要らないので、そういうものは勉強すらしない、そうすると必然的に期末試験は悪くなる。

そうしたある日、同級生から話しかけられた。(多分そんなに仲の良い奴では無い。ただ、印象的だから憶えていただけ)
期末の順位と点数を聞かれたのだ、教えてみるとなんと負けていた。
そいつは非常に喜んでいたと思う。俺は悔しくなかった。

そんなエピソードがあるのだが、中学生は普通に競うし負けたら努力する。
人より頑張ればボーナスがあると言うことが分かればそれを得る為に更に努力する。
中学生くらいだと先の人生と言うよりも良いとこ見せたい、よく思われたい、だと思うが大人とさほど変わらない社会で生きているのだ。

子供のうちは競争させない、なんて大人が描くファンタジーだ。
俺は少なくとも子供の頃から負けたくない奴はいたし勉強するなら上を目指すのは当然、スポーツも大会はいつも優勝を目指していた。

子供を競争させたくない、のではない。
競争させてあげられない自分が恥ずかしいのだ。お金が無いから。
だが、子供が自分のようにならないよう、しっかりとお金をかけてあげて欲しい。

そして、子供は中学生にもなれば大人とそれほど変わらないことを思い出して欲しい。


大人になれば格差があることを隠し、ある日突然本当の社会を見せることこそ不平等。
教育にこそお金を使うべき、親も学校も国も。
今の子供たちは将来の日本の中心を担うのだ。

 

人に物を教えるのに「体罰」や「怒声」や「人格攻撃」は必要なのか?

なぜいつまでも体罰が無くならないのか? 

 

headlines.yahoo.co.jp

 
先週話題になっていたニュースだが、本当にいつまでも体罰は無くならないものだなと思う。体罰をしたコーチは元プロ選手だそうだ。やる気を出して欲しいからという趣旨の発言をしているようだが殴ってやる気出す人間などいないだろうに。


我々はいつも物事を教えてもらったり、教えたりして生きている。得意なことは教えるし、不得意なことは教えてもらう、そうして情報共有をすることで人間全体としてのレベルを上げていくのだ。
一つの事柄に対して教えてもらった人が、それを改良して更に次の人に教える、それも複数の人に伝えることで更に多くの情報が行き渡り、より良い方法が生まれやすくなる。それが我々の生活レベル、文化レベルを上げることに役立っているのだ。

最近ではyoutubeなどにも○○の作り方、やり方などといった動画がアップされていたり、指南本も相変わらず売れ行き好調だったりと教える・教えられるの関係は良好だと言えそうだ。だが、ここ最近自分自身を振り返っても誰かに教えられた記憶は無い、知りたいと思うことが有れば検索することが習慣化しているせいで知らないことを教わるのにいちいち人を探してなんてことをすることがないのだ。
都合よく詳しい人がいるなんてこともそうそうあるものでは無いし。

続きを読む

クラウドソーシングは新しい仕事や生き方の方向性を示さなかった

どんな立場でも副業をする世の中だとして貴方は何を選ぶのか?

 

個人事業主として活動して6年目、本業は紆余曲折ありながらもパートを入れられるくらいには安定しつつある。と言っても数ヵ月後にはやっぱり一人、となっている可能性も有るし予断は許さないのだが……

パートを入れてみて思うのは、やはり作業効率の変化。リユース品を扱う商売の宿命だが薄汚い状態で入荷することがほとんどであり、掃除は必ずしなければならない。今まではそれを自分で行い、商品撮影、データ作成、出品までやっていた。

続きを読む

まだまだ我々はお金を稼ぐのが下手なんだなと痛感させられたある日の夜

仕事が楽しいという病……


自分が個人事業主だから、という訳でもないのだろうが周囲には同じような人間が多い。社長や一人親方、お店のオーナーとか。

同級生は知っている限り会社勤めで独立しているのは俺くらいだが、現在住んでいる所で付き合いのある中では会社勤めは数えるほどしかいない。
類は友を呼ぶとはよく言ったものだ。

とは言えそれぞれが同じような考えを持っているという訳でもない。
当たり前のことだが、方向性はみんな違っている。
そこが面白く興味深いものでもあるのだが、同時に自分たちがまだまだ勉強不足であることを痛感させられるものでもある。


つい先日、珍しく夜中まで酒を飲みながら話していた時に思ったのだが(そもそも論としてみんな仕事に対する考え方が違うのは当たり前として認めるとしても)、日本人はお金を稼ぐことについてあまりにも無頓着で、仕事の方向性、将来性についての視野が狭すぎやしないだろうか。

特に自分の技術でお金を稼ぐいわゆる職人系の人にその傾向が多い。
技術を高めることで仕事のレベルも上がるだろうしお金も稼げるようにもなる、のだが逆に言えばいつまでもプレーヤーとしての自分以外にお金を稼ぐ手段が無いということでは?

自分が止まると収入も止まる、病気になったら?怪我をしたら?たまには休んで旅行にでも行きたくなったら? 仕事が楽しくて休む気にならない、とか目標があるから休んでる暇が無いとか言う人がいるが会社辞めて縛られなくなっても新しい縛りは欲しいんだなーとしか思えない。

俺は独立してから5年ほどほとんど休まずに仕事をし続けているが、ルーティーンに陥ってしまいがちで新しいアイディアや仕事のレベルを上げる為の情報を仕入れることができなくなっている。
今ある仕事のスキルは上がるとしても、階段を上がる力にはなりづらく、上を見ておかないと階段があることすら気付けない。そういう物に気づくためには心の余裕や仕事を俯瞰できる時間が必要だと思う。ちょっと出かけた先で新しい発見があり、そこから仕事のヒントを得ることもあるのだ。

 

話していると疲れてしまう人たち

独立すると休みを取らなくなったり人を雇うことに拒否反応を示したり頑張れば状況を変えられるという思い込みをしてしまう人は多いと思う。

それは事実でもあるがちょっとした勘違いでもある。

  • 休まない、休む気がない→集中力には限界があるので仕事のクオリティを上げる為にも休んだほうが良い。充実感でテンションを保ち続けることはできない。
  • 人を雇いたくない→自分が動かないとお金が入らないシステムから抜け出せない
  • 頑張れば状況を変えられる→一人だからそりゃ変えられる。しかしさしたる意味はない、なぜなら一人しかいないから。状況=自分であり周りではない。

別にそういった情熱に溢れている(ように見える)人たちを間違いとも思わないし馬鹿だとも思わない。ただ、人との関わりが少なくなる、特に意見を言ってくれる人が周りにいなくなると視野が狭くなりがちで頭も固くなりがちだ。


俺も仕事が楽しくて仕方ない、自分で全ての責任を取れるから楽なんだ、とか他人の人生なんて背負いたくない、とか言う人に多く出会ってきたがそんな人は大概結婚生活や恋愛において失敗を繰り返している。なぜならその考え方は自己中心的な側面があるからだ。他人を排除することはできないから仕事というエリアはできるだけ心地よくしたいという気持ちも分かるのだが

他人と関わることの少ない個人事業主、社長という立場の人間は特に注意すべきだと思う。ある程度生活が豊かであったり仕事が充実(とても忙しいだけ)していたりすると自分が成功者であると勘違いしてしまいまわりに対して見下した態度で接してしまうこともある。

俺はそういう人と話しているとすごく疲れるのだ。
自分自身も仕事で成功したいと思ってはいる、だが今の仕事だけを続けるつもりは無いし5年後も自分が今の仕事の中心である可能性はゼロだ。
今年から来年は、人を雇いつつ仕事の枝葉を広げ、収入をできるだけ分散化する方向で動こうと決めているからだ。

まあ、お金が上手く回らなければ自分でやるしかないだろうしどうなるかは未定ではあるが。そもそも俺が独立したのは平日でも好きなときに休んで買い物に出かけたりキャンプに行ったり旅行に行ったりしたいからだ。ここ数年それを忘れて仕事そのものが人生の目標になっていたのに気づいてしまった。

仕事は確かに楽しい、新しい情報があれば試してみたくなり新製品が発売されたらその一つ前の品物は安く仕入れられそうだと作戦を練ったりハンドメイドのデザインや使い勝手を考えて作る過程は大変だが充実している。新しい道具やネットサービス、カメラやアプリ、仕事に繋がる情報を仕入れるだけで一日使えるくらい終わりの無いものだ。

そう、終わりのない技術の吸収、知識の吸収は楽しみなのだ。

 

楽しいからこそ離れることも必要

だが、そういった姿勢がいつまでも続くとは思わないほうがいい。人のマインドセットなんてより大きな影響があったり時間によっても変わっていくものだから。
変わる可能性を否定せず、そのチャンスがあれば柔軟に仕事の形態や自分の立場を変えられるような人のほうが個人として生きていくには良いのでは無いかと感じる。

個人事業主は仕事の全てが生活費に直結する。
お金を稼ぐということは自分の人生を豊かにし、できることの範囲を広げてくれる。
それを自分の手の中でやってしまおうとするのはあまりに視野が狭いのではないかと思うのだ。

自分の体は一つで使える時間も限られる、レバレッジは全く利かない状態だ。
そこで一日数時間でも働く人ができたらどうだろうか?あるいは自分と同じようなレベルで仕事ができるパートナーがいたら?
自分が別の仕事をしていても作業は進んでいく、仕事量は増える。浮いた時間で更なる稼ぎを作り出せば人を雇ったとしても出来上がる売り上げは一人よりも大きくなるだろう。もしもできないのなら人を雇うほどの仕事量が元々無いのか仕事の指示が下手なのか。

自分に入るお金が減ることがイヤだから雇わない、という考えが根底にあるとより大きなお金が得られるチャンスをフイにしてしまう。
そういった考え方には日本人の投資意識の低さが出ているような気がする。
お金を増やす、しかも仕事量少なめでというのに拒否反応が有るのではないだろうか。お金は自分が額に汗して働いて得られるもの、というような。

自分が勉強して人よりも先んじてお金を投じたからこそのリターンであり、後ろめたさは微塵も感じる必要は無いと思うのだが労働賛歌が未だに主流派である以上正しい投資意識が身につくのはまだまだ先のことなのだろう。

ただ、仕事に対しても同じ考えは良くない。
お金を投じて人を雇うことで得られるのは自分の仕事時間だ。更に言えば人を成長させることで雇った時間内で達成できる仕事量、質は上がっていく。そうなると更に自分の仕事時間は増えていく。
増えた仕事時間を遊びに使うのは論外だがお金を生み出す(短期でも長期でも)仕事をしていくことで売り上げは更に増える可能性がある。

売り上げが上がれば設備投資も更なる雇用も可能となり、そこから更に売り上げを上げることも可能だろう。

これは机上の空論で、大体の個人事業主や会社は10年後には廃業しているというデータもある。廃業した理由は分からないが投資意識が無い事も理由の一つには挙げられるかもしれない。


お金を稼ぐには仕事時間を長くしたり休みを減らしたりする必要がある。
そういう考えをしているうちはお金を上手く稼ぐことはできない。自分ひとりしかお金を稼げないなんてハイリスクな投資をしているのと同じだ。しかも全財産と自分の人生を掛けて。もしかしたら家族の人生も掛けて。

FXをハイレバレッジでしているようなものだ。

FXをやる人をアホだ馬鹿だといっておきながら自分はリスクの高い仕事スタイルを続ける、どんぐりの背比べである。


我々はまだまだお金を稼ぐことに対しての考えが足りない、それは事実。
自分の許せる金額を人を雇うという投資に使い、しっかりと管理し運用できるのならリスクは軽減される。問題はリスク管理、他人というのは自分にとって大きなリスクだ。考えていることは分からないし予測不能な行動をとる。
だからといって自分だけの世界を作ることは危険だ。

仕事が楽しいからいつまでも自分が携わっていたい、としても技術や知識を人に渡していくことで社会貢献にもなる。その人がそれでお金を稼げるようになれば。
自分のできる範囲で人に対して投資する意識、それを是非見につけたい、俺もそう思っている。


せめて自分の描いた生活ができるように。
人とお金に働いて貰わなければならない。










働き続けるのが辛いなら逃げても良いとは思うのだが完璧に成し遂げるのが条件

会社は入り方・過ごし方・辞め方皆平等に大事である


現在は個人事業主(今年からはフリーランス寄りではあるが)ではあるのだが、22~35歳までは会社員として働いていた。

前の記事で書いたとおり、俺は就職活動で失敗している。 

 

business-life-hitime.hatenablog.com

 
現在ではダメージが抜けて思い描いたとおりの自由な働き方が実現しつつある。
だが、現在に至るまではなかなかに辛い期間も過ごしてきた。次の記事は25~30歳まで働いたブラック企業での思い出を書いてみよう。

現在まで俺は3回仕事を辞めてきた。
4回目で個人事業主になったので打ち止めだろうが、3回就職したとも言える。
たかが3回、されど3回。俺なりに大事だと思えることは3つだ。(多分もっとあるが思いつかず)

その1、社会人としてのスタートを誤らないことは非常に大事であるということ。これは前の記事で書いている。零細企業から大きな企業へのステップアップは絶望的に厳しい。転職はランクダウンがほとんど。

続きを読む