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しがない!

しがない40代自営業の世迷言

何も知らない方が面白いアイディアを出せるとか若い方が恐れを知らずに挑戦できるという考えに少しだけ異を唱えたい

世間的に概ね正しいとされていることばかり信じても面白くない


自分の仕事の新しい可能性として、主に木を使用した雑貨や家具の制作をコツコツと行なっている。1年半程前からになるだろうか、民族楽器のカホンから始まりティッシュケース、小物棚、レザーのタッセルなど思いついたもので自分の技術で実現できそうなものから手を付けている。

これが作りたい、と発想した時にはいつもノートにラフスケッチを書いてみる。
そこから材料を決めたりするのだが大体はこれは今の自分ではできないな、と判断してやめてしまうことが多い。
簡単にできる雑貨品であれば特に迷わず設計図を書けるのだがサイズの大きいテーブルや収納棚などの場合は構造的にしっかりとした物でないと製品化が難しいのだ。
強度を上げるだけなら材料を増やしてがっちりとした作りにしてしまえば良いのだが、そうするとデザイン性が落ちるし重くなる。

プロの作り方ならば出来ることが自分には出来ない、というどうしようもない事実が発想を諦める要因になってしまっているのが現状だ。

趣味や自己使用なら別に作ってから考えればいいか、で済むのだが製品プロトタイプとして考えるとそうはいかない。
材料も時間も全て仕事に換算されるから無駄に終わるのは基本的に許されない。
出来上がったものは最低限、経費を取り戻せるものでなければやる意味が無い。

これは自分がある程度の知識があり、実現ができるorできないが判断できるからこそのことだ。もしも知識や経験がなく取り敢えずやってみようの意識が勝っていたら経費や時間を考えずに制作を進めていたことだろう。

無駄に終わる作業でも出来上がったものは物質である以上消えてくれない。
売るか捨てるかしなければ場所を取る邪魔者になってしまう。現状、俺が制作を諦めるのは仕事としてリアルに捉えるからこその判断だと思っている。 

 

 やってみないと、トライ&エラーが大事とは言うものの


一つの思いつきがあったときシミュレーションすることは大事だが、実地での検証はもっと大事なことだ。それは理解できる。

だが、全ての事を実地での検証まで行うとしたらそれに掛かる人員と時間、経費の計算は必須だ。取り敢えずやってみてから考えよう、では世の中回らない。

素人の方が面白い考え方ができるからトライするのは大事、トライ&エラーを繰り返してみないと、というのはもちろん正解だ。
面白いアイディアは固くなった頭からは生まれない、知らないからこその柔軟性が必要だという意見は昔からよく聞く。

それはある角度からは正論だが見方を変えてみるとしっくりこないこともある。
素人はそれ以外の考え方、知っているならそのような考え方をしないこと自体を知らずに発想する。では、物をある程度知ったのなら発想力は衰えるのか?新しいものは生まれないのか? その答えはNOだと言わざるを得ない。

何かを生み出すとき、それを繰り返した場合には構想の過程で過去の失敗や反省を踏まえて削ぎ落とすものが必ずある。できるだけ実現までの最短距離を進もうとするのだ。
素人の場合、削ぎ落とせる経験値がないから何でも大事にする。失敗するか成功するかのシミュレーションが十分にできる経験値が無いから当たり前だ。

確かに面白いかもしれないが自分が素人の立場であれば同じような発想をするだろう、そして今の自分がそれを発想しないのは捨てて構わないと判断しているのだろうと思っている。

俺はもう40になる。
様々なことを経験し、発想し、検証してきた。
その中から自分ができるだけ長く続けられ、ストレスが少ないだろうことを選んでいる。これを頭が固くなったと言われれば一部正解、多くは不正解だ。

経験を積んだから、知識を積み上げたからこそ新しい発想も可能になる。
誰かがやったことだ、すでに同じものがある、という判断は経験、知識の積み重ねからしか生まれない。

知識を得ること、経験を積むことは決して慣れることではなくそれをベースにして新しいことやより良いものを生み出すことにこそ利用されるべきだと思う。

 

年寄りの考えがつまらなくないというのは一部正解、多くは間違い


会社勤めしていると、上司の考えが固くて自分のアイディアや意見が通らない、という場面も多々あると思う。そうした時、若い頃であればあるほどあの人はもう新しいことができない、頭が固い、守りに入ってる、などと判断しがちだ。

だが、こう考えて欲しい。
上司も昔は自分と同じで色々な意見、アイディアがあったのだと。そして同じように否定をされてきたのだろう、と。

その人がなぜ自分の考えを認めないのか、意見を否定され上司をダメだと判断する前に一度考えてみるべきだ。
自分の意見に詰め切れていない部分が多い、経費や時間に問題がある、会社組織、構造を変える必要がある、などなど否定されるべきポイントがそこにはあるはずだ。

確かに頭ごなしに否定されたらいい気分はしないだろう。
だが、そこで終わっては自分も考えが固まるばかりで今以上の発想は生まれないことになる。もう一度練り直し、構成を直し、伝え方を直してみる所まで行ってみたらどうだろうか?

闇雲に思いついたことを何度も試すのはトライ&エラーではない。
トライとエラーの間に自分の頭脳が使われなければ意味がない。つまりはプランを前進させる為に頭を使うということだ。

確かに年を取ると若い人の考えを正面から捉えられなくなる。
無駄に終わった自分の経験がそうさせる場合もあるし単に現状を変えたくなくなるのも否定できない。

だが、知らない方が面白い、若い方が恐れを知らない、ということだけを正義にしてしまうのもちょっと違和感がある。
年齢や経験を重ねても面白いことを続けられる人はたくさんいるし、デザイナーやクリエイター、経営者にも年齢を重ねても非常に面白い事をしている人は実際にいる。

彼らは若い、知らないということからは遠く離れている。

 

自分にとって有利な考え方だから利用するような卑怯な使い方はやめよう


自分の考え方が否定されたとき、攻撃的になる人、他者に責任を転嫁する人、経験値や知識が邪魔になっていると判断する人、様々なリアクションがある。
何も知らない方が面白いアイディアを出せる、若いからこそ恐れを知らず挑戦できる、そういった意見は我々のような年寄り、経験や知識を積んでしまった者が言うなら価値が生まれる。それを認めるから言うのだ。

自分の意見が否定されたと感じる若者がそれを言った場合、その言葉は単に攻撃性だけが突出することになる。
だから年寄りはダメなんだ、現状を変えるのは若者にしかできない、という考えが支配的になってしまう。

その考えは我々がすでに通過したものだ。我々以前にもずーっと言われてきたいわば使い古された考え方だ。
つまりはそれを言う人間はすでに頭が固い、前例を踏襲する人だという証明になる。


誰だって伝えるという立場では平等になれる。
自分の意見が通らないとき、それは発想の問題ではなく細部まで詰められない検証不足や伝え方の問題に帰結するべきだ。

誰でも新しいことをするのは好きだ。
いつでもやろうと思うし自分でも考える、年寄りも同じ、嘘じゃない。

自分の知識や経験値を刺激する新しい発想を常に待っているのだ。
否定されたから相手を否定するのでは何も生まれない。
諦めずにどうしたら伝えられるかを工夫して欲しい。

どこにも突破口が無いなんてことは絶対にありえないのだから。