しがない!

しがない40代自営業の世迷言

人に物を教えるのに「体罰」や「怒声」や「人格攻撃」は必要なのか?

なぜいつまでも体罰が無くならないのか? 

 

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先週話題になっていたニュースだが、本当にいつまでも体罰は無くならないものだなと思う。体罰をしたコーチは元プロ選手だそうだ。やる気を出して欲しいからという趣旨の発言をしているようだが殴ってやる気出す人間などいないだろうに。


我々はいつも物事を教えてもらったり、教えたりして生きている。得意なことは教えるし、不得意なことは教えてもらう、そうして情報共有をすることで人間全体としてのレベルを上げていくのだ。
一つの事柄に対して教えてもらった人が、それを改良して更に次の人に教える、それも複数の人に伝えることで更に多くの情報が行き渡り、より良い方法が生まれやすくなる。それが我々の生活レベル、文化レベルを上げることに役立っているのだ。

最近ではyoutubeなどにも○○の作り方、やり方などといった動画がアップされていたり、指南本も相変わらず売れ行き好調だったりと教える・教えられるの関係は良好だと言えそうだ。だが、ここ最近自分自身を振り返っても誰かに教えられた記憶は無い、知りたいと思うことが有れば検索することが習慣化しているせいで知らないことを教わるのにいちいち人を探してなんてことをすることがないのだ。
都合よく詳しい人がいるなんてこともそうそうあるものでは無いし。

 今の時代、動画やネット情報でもある程度精度の高い情報が手に入るので、本や人からの情報は少々面倒に感じる人も多いかもしれないと思う。特に人から教えてもらう場合、いちいち聞く時間が勿体無い、その人の主観が入りすぎていて精度の高い情報である保証が無い、と感じてしまうことも一つの要因だ。その人をどう思うかも情報の信頼度に関係してしまうので、なおさら面倒だと感じてしまうのかもしれない。

 

教えるという行為に立場の上下を持ち込むことがそもそもの間違い


大人になると教えることが多くなり、教えを請うことが極端に少なくなる。人によるがそういう傾向が普通だと思う。教えるといえば仕事の場面が多いと思うが、新入社員やバイト、派遣さんに対して仕事の流れややり方などを教えるといった経験をした人は多いのではないだろうか

その時、最初は努めて優しく、分かりやすくを心がけるのだが、仕事の途中で何度も同じことを聞かれたり定期的にチェックすると同じミスを繰り返していたり説明が理解できておらず全然作業をしていなかったりに立ち会うとついつい厳しい言葉を浴びせるということも有ったのではないだろうか?

自分も仕事を抱え、結構な忙しさの中で日々を過ごしているのに更に新人の教育をするなんてなかなかの苦行だと思う。

 

怒っても別に仕事を憶えてくれるわけじゃない

ここ最近、パートさんを雇ってみた。
週3回、一回3時間という短さだが、結構助かっている。仕事は入荷した商品の清掃、それ以外も色々やってもらおうと思っていたのだが現状まったく手がつけられていない。
何しろ仕入れの数が多い、既に去年仕入れた点数を越えているくらいだ。
半年で去年一年分の仕入れをこなしているとなれば仕事がなかなか進まないのも納得している。

パートさんだが、仕事に関してはまあ良くやってくれている。慣れてくればスピードも質も上がるだろうし。最低限のやり方や効率の良い方法を教えてしまえば後は慣れてもらうしか無いのが正直なところだから見守るのみ。

そんなことを思っていたのだが、昔はおそらく全然違うアプローチで仕事の指導をしていたような気がする。ミスの種を事前に潰して潰して、自分が作り上げた仕事の段取りにピッタリと合うように、監視に近いくらいの指導をしていたかもしれない。

今思うとこんな奴には教えられたくない。
何度も同じミスをすれば取りあえず怒っていたと思うし。

当然職場はピリつく。
雰囲気も悪くなる、当たり前だろう、その場で一番立場の高い奴が不機嫌なんだから。


結局のところ当時の自分は新人に対して、明らかに劣る者として指導をしていたのだろう。どうせミスするだろうし仕事できないんだから一挙手一投足監視してやるくらいの気持ちで。

そんなやり方を優しいとか思ってくれてるとか情熱的とか思ってくれる人もいるのだろうが、大多数はNGだと思う。


自分のやり方に当てはめたいだけ、違うことをされるとゴールが同じでも怒る奴もいる。やった当人としては結果が同じなのに怒られるなんて理不尽、と感じるだろう。
いちいち細かいことで指摘されると逆に進まないんだけど、と思うだろう。

指導される側にだってそんなイライラの積み重ねがあるのだ。
何で憶えないんだ、などという指導する側のイライラだけが正等な訳じゃない。
新人のうちは怒られるのが普通で我慢が肝心、それは嘘である。

自分が昔我慢したから新人に優しくしたくないだけだ。

怒ったところで相手は反発する。
不快感を与えれば嫌う。

教える教えられるの関係も所詮人間関係。
一方的に、上から下に強制する関係ではないのだ。

そもそも教えると教えられるに上下の関係は無い、年齢や役職の上下はあっても仕事の情報量で偉ぶることはできない。
仕事にどれだけ詳しくても結果を出せない奴はいるからだ。要領よく結果を出す奴と仕事に詳しく理路整然と語れるが結果の出ない奴を比べた時、仕事の情報量で後者を上にする奴はほぼいないはずだ。

たまたま自分が教えているだけ、しかも新人が仕事を憶えれば自分が特をすることもあるのだから面倒がったり怒ったりする必要などないはず。
淡々と相手の疑問に答えたり、疑問を引き出してやれば意外に上手くいくと思う。

 

大人なら殴らない、子供は未熟だから殴っても構わない?


昔からそんな考えが蔓延しているように感じるが、何で子供なら体罰しても良いと思う奴がいるのだろう?
曰く子供は未熟だから叩いて教えるのも教育。

本当に馬鹿な意見だと思う。ペットにしろ叩いて教えるのは間違っている。人間なら尚更だろうに何故それが分からないのか非常に残念だ。
部活でのシゴキや暴力、昔自分がされてきたからある意味仕方ないという風潮。
もし自分が体罰されず、理不尽なシゴキも無く、わかり易い指導をされいていたらどうだったか?より良い結果が出たとは思わないのか?

体罰で良い結果が出るのなら何故プロ野球の監督はミスした選手を殴らないのか?
プロだから? いやいやプロだからより結果が大事でしょうに。殴って最高の結果を出したらいいはずでは?


結局のところ、教える側の未熟さがこういった問題を生んでいるのではないかと思う。
技術があったとしても教える技術が無い人間もいる、人の気持ちを汲めない奴もいる、自分が一番正しいと思っている奴もいる。

教えるという行為は即物的なものを与えるのではないと思う。
設定されたゴールに向かう為の考え方、ルートの組立てなどを教えることが重要で、その為に必要な技術をその場その場で教えるというのが正しい。

へたくそな奴はまず技術を教えたがる。
何故それが必要か理解できていなければ体は反応してくれない。


指導そのものに疑問を持たない限り、体罰や人格攻撃などの理不尽な行為は無くなることはないだろう。
非効率な教える、教えられるの関係から脱却し、より効率的でスムーズな指導体制を考える時期にきているのではないだろうか?

体罰のニュースからしばらく経っているが、けっこう真剣に考えた。