しがない!

しがない40代自営業の世迷言

怖い絵展の行列とマラソンランナー

上野の森美術館で開催されている「怖い絵展」に行くことにした。
一月ほど前に前売りは購入していたから、急に思い立った訳では無いのだけれど。
12月17日、最終日に行くことにした理由は特に無いが、ここ一月は帯状疱疹や脚の怪我、胃腸炎や高熱などの体調不良が続いていたので行くタイミングがなかっただけのことだ。

朝7時台に電車に乗り、8時頃に上野に着いて数分歩いて美術館へと向かう。
前日までの情報では2時間は並ぶことを覚悟しなければならないようだったので、開館時間前には並び始めることが重要だと思っていた。
実際、美術館の入り口付近に行ってみるとすでに結構な人が並んでいたからあー、これでも遅かったかと思ったが、その手前でチケットを持っている人はこちらと言われ列の先頭に並ぶことができた。それでも最初のグループではなく2番目であったが。

我々よりも早く到着した方々は、館の入り口に並んでいたのだろう。
そして俺が見た結構な行列はチケット購入の列だった。

 並んだ場所がちょうど陽の当たらない場所だったのですぐに体が冷え始めたが、待つしかない。事前に買っていたパンを食べつつ本を読み始める。怖い絵展の大元となった中野京子さんの「怖い絵」だ。

怖い絵 (角川文庫)

怖い絵 (角川文庫)

 



寒さで集中できない。
その間にも続々と人は増え続ける。
横を見るとゼッケンを付けたランナーが同じところを何週もしている。今日はどこかで市民マラソンでもあるのかと思ったがそんなことは無いだろうと判断、老若男女が同じフィールドで走り続けているのを眺める。

俺はダイエットのために9月の半ばからウォーキングをしていた。
1日10km程度、週で70kmを目安に。足の怪我が完治していないので現在はやっていないが、毎日同じコースを歩いていると飽きてしまう。それもあり毎日違うコース、7コースを作りローテーションと気分で歩くコースを変えていた。

歩くと走るでは運動量が違うから一概に当てはまらないだろうが、何週も同じところを走り続けるのはちょっと苦手だ。走ることに集中していれば場所は関係ないのかもしれないが、周りを見ながら走ることになる以上、景色の変化は欲しいと思うのだが。

同じことをやるのが苦手だから今のような個人事業主になったわけでは無いのだが、それが苦手であることとは相関関係があるのではないかと思う。
同じことをやらされることが嫌なのだ、きっと。
自分でやると決めたことであれば毎日同じ場所に行き同じ仕事をすることも厭わない。
彼らも自分で決めて自分の楽しみで走っているから同じ場所をぐるぐる回るのを受け入れられるのかももしれない。


本を読みつつマラソンランナーを眺めつつしていると、9時頃に列が移動を始めた。
どうやら開館時間、前の行列ブロックが入り始めたのだろう。
前に進んでいくと入り口が見えてきた。4列に並んで入り口まで折れ曲がりながら進んでいる。まだ時間が掛かりそうだ。

前のカップルが看板をバックに自撮りしている。
その前の女子が看板を取ることに夢中で列が進んでいるのに気づかない。

しかし色々なタイプの人が並んでいるものだ。
中学生くらいの子やお洒落な女性、年配の夫婦、デュフフとか言いそうな男性グループ、バラエティに富んだ行列だ。属性が不明、何かと知らせずに行列のみを写してクイズを出したら正解は出ないことだろう。


1時間15分並んで入館した。
さて、楽しみだと2階へと階段を上る。

テーマ別に分かれた展示は見やすかったのだが、順路は自由なこともあり作品によっては人が全く動かず見ることができないものもあった。
また、角の展示では人が溜まり身動きができない状態に陥ることもあった。

ちょっと離れたところから人の溜まりを見ていると何だか不思議な気持ちになる。皆で同じ方向、同じものを見ている、はずなのだがどこにも焦点が合っていない目をした人もいる。幾度も美術館などの展示に行って感じることだが絵を見ている人やどこを見ているのか分からない人にしても目に力が無い人が多いように思う。

行列にいる最中に思ったことに関係のあることなのだと後から気づいたがおそらくは自分で選んでいない場合、人は何も受け取らず感じることが無いのだ。
並んでいる際横の妻に聞いてみた、展示のテーマに興味がある、展示されている絵に興味があるのか、それとも行列している、待ち時間がある、多くの人が行っていることを知り行きたくなったのかどちらの人が多いのだろうと。

もちろん一人ひとりに聞いて回ることはできない。
だが、おそらくはSNSなどの情報などから行列、人気ということを感じ取り行く動機を得た人のほうが多いように感じた。

そう言う人たちが目に力の無い人に見えたのだ。
まあ別にどうでもいいことなのだが。


自分で選ばないことで何も受け取れずそこから何かを感じることができないとすると、話題や人気で行くことを選ぶ人はわざわざ長い時間並ぶ必要など無い。だって何も受け取ることができないのだから。
見ることが重要? いや、そんなことは無い。
感受性を磨きたいのなら見るだけではダメだ。絵や展示物はすでに何らかのイメージ、テーマ、力を発信している。対して受信者はそれを受け取り自分なりの解釈や考察をする下地ができているのだろうか?

芸術というものを鑑賞する場合、必要な要素は教養なのだ。
勉強では無い。
ただ、作品から何かを受け取る場合、頭の中でそれを言葉にする必要がある。
その言葉は本を読むことや知識人の話しを聞くことで深みを増し強化され、やがて自分のものとして発信できるまでになる。そうすることで更に様々なものを受信できるようになる。

そのような受信を繰り返すことで身に付くのが教養だ。
始めは大したことを受け取ることはできない、あーキレイだなーとかいいなーとかそんなものだ。だが、興味を持ち作品のテーマや作者、識者の意見などを調べたりすることで受け売りの知識がまずは身に付く。それを誰かに話したり頭の中で考えをまとめたりしていくことで自分なりの意見が出来上がる。
新しい物を受信するたびにそんなことを繰り返すことで身に付くのだ。



展示を見ていると自分の好きな作品の傾向が分かってきた。今までは特に考えていないことだったがこの展示ではっきりと見えた。

大作、大画面の作品や作りこまれ書き込まれた作品は確かに素晴らしく世界観もはいってき易いように思う。
だが、俺の好きな物は挿絵などの小品なのだ。
鉛筆書きなどで描かれた線画、シンプルで小さな作品が何よりも好きだ。
流行りものが描かれていたり風刺だったり、よりその時代の風俗が感じられるからなのかもしれない。美しい大作も良いが挿絵も素敵だと思う。
アルバムのリード曲となるシングルではなくアルバム曲、特に実験的であったりバンドの趣味であったりする曲が好きなことと似ている。



1時間程度で全作品を眺め終わる。
いくつかの作品は人の溜まりで諦めちょっと横目で。
好きな作品は前に人がいない状態でゆっくりと。

怖い絵展、思ったよりも良い展示であった。
みなさん満足したことだろう。

ミュージアムショップでポストカードを購入し、美術館を後にした。
自分が並んでいた場所を振り返ると長蛇の列。
最終日だからね。

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ちなみに本は途中までしか読めなかった。
そして買った本で紹介されている作品は今回の展示にはほとんど無かった。
だが、読み物としては抜群に面白いから最後まで読むだろう。
歴史的事実からのアプローチ、考察、作者自身の想像力から組み立てられる作品のストーリー、どれも興味をひかれるものだ。


良い休日を過ごした。